私たちは今、宇宙を横断する進化の分岐点にいる。そこでの問いは、私たちはどのような未来をデザインしたいのか、ということだ。

従来、アートスクールと企業は、一方が美学と抽象的思考を重視し、他方が利益と実利主義を重視する、互いにとって異質な存在として認識されていた。これは分離の時代であり、アートとビジネスが平行線をたどり、これらが収束することはめったになかったのだ。企業は効率を求め、しばしばクリエイティビティを犠牲にした。アートとデザインは、ギャラリー、博物館、サービスという狭いレンズを通じて解釈され、孤立していた。

アートとデザインの教育機関とその顧客との間の摩擦はますます広がりつつあり、空虚なインクルージョンへの努力、(教育享受のための)法外な借金、分断された知識、非人間的な指標、時代遅れのカリキュラムに飲み込まれている。この時代のクリエイティブな教育は、もはや従来の教育機関にとらわれる必要はない ー 教育は、常に制度的な場所から切り離されてきたのだから。

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アートとデザインの教育は、私たちが可能性を追求し、疑問と隣り合わせにある関係性の中で、心の動きから創造することができるよう、新たな視点と視野を広げる能力を養います。

*“今日の私たちの学び方は、
資本主義的パラダイムのもとでの私たちの生き方に大きく関係しており、
そこでは知識の生産が金融事業として行われている。”* 
ーアレッサンドラ・ポマリコ

文化的なモノリスや神話的な構図が崩壊しつつある現在、アーティスト、デザイナー、創造的な教育者は、この後期資本主義渦での生き方の可能性を書き、教え、創り出している。人類は無限の情報に浸って生きている。しかしこれらの情報が必ずしも知識であるとは限らず、絶え間ない情報ドーパミンの流入は思考の麻痺と脱力をもたらしている。

私たちが描く新しい物語では、人々は知識を栄養として収集する自由を培い、抽出的な知識を選別するスキルを身につける。このようなディープ・シンキングは、ティックトキアン(tictok-ian)的不調和をバイオ・ハックする術なのである。

この物語によって、「生きる」ことが困難な今の環境を作り出した原因であるイデオロギーやシステムから人々の意識の移行を促進・加速させることができるだろうか?この移行は中央集権的なアプローチと分散的なアプローチの両方からカーネル*を抽出し、調和させることができるのだろうか?私たちが継続的にコクーンになれるような条件をどのように作って行けばいいのだろうか? 未知なるものへの恐怖や誤解を抱いたまま、どのようにこの時代について語ればいいのだろうか。

*“人々に新しい考え方を教えたいのなら、
わざわざ教えようとしなくてもいい。
その代わりに道具を与えなさい、
その道具を使うことで新しい考え方が生まれる。”* 
–バックミンスター・フラー